
新シリーズ・今週の一言
2026.01.05
你好~ こんにちは、あるいはこんばんは~
【挨拶】
2026年,时间以一种几乎不引人注意的方式,宣告本世纪已经走过了四分之一。没有钟声,也没有集体的停顿,人们仍然照常醒来、工作、入夜,但某个看不见的刻度,已经被悄然划过。这既像一个时代的结束——那些曾被反复提及的未来,如今已悄然成为过去;又像一个时代的开始——新的不确定、新的语境、新的语言,正在慢慢成形。从今年起,我将开始一个新的系列,名为「今週の一言」。它不追求总结,也不提供答案,只记录在这一周里,最值得被留下的一句话。或许是一个念头、一种情绪、一段尚未完成的理解。它们短暂,却真实;轻微,却抵达。在时间持续前行的背景中,我希望这些词语,能成为一些安静的标记。
2026年、時間はほとんど音も立てずに、この世紀がすでに四分の一を過ぎたことを告げた。特別な合図はなく、人々はいつも通り目を覚まし、働き、夜を迎える。それでも、見えない目盛りの一つは確かに刻まれている。それは一つの時代の終わりでもあり、同時に始まりでもある。かつて未来として語られていたものは、いつの間にか過去になり、新しい不確かさや文脈、言葉が静かに形を取り始めている。今年から、私は新しいシリーズを作ろうと思う。その名前は「今週の一言」。総括でも結論でもなく、その一週間の中で、最も残しておきたい一文を記すための場所だ。それは思いつきかもしれず、感情の断片かもしれないし、まだ言葉になりきらない理解かもしれない。短くても、確かにそこにあったもの。流れ続ける時間の中で、それらの言葉が、静かな印のように残ることを願っている。
【系列紹介】
这是一个名为「今週の一言」的文字小栏目。它并不试图解释,也不急于抵达结论,而是把注意力放在语言尚未成为意义之前的那一层薄影上。就像黄昏时走进酒吧,随意点下的一杯酒——并非必需,却可能在某个瞬间留下难以消散的余味。这些词语正是如此,它们安静地存在,等待被偶然拾起。
「过期香蕉」「河边的咖啡」「不知晴空」——这些词看似笨拙,略显偏离日常,却各自携带着时间留下的痕迹。它们像被搁置的季节,像没有寄出的信,包裹着尚未说出口的情绪与未曾完成的故事。那些没能说清的话、没有走下去的方向、还来不及结束的关系,都在词语的深处悄然呼吸。
随着时间推移,我们学会把语言当作工具,追求清晰、迅速与效率。而青春原本并非如此。它充满犹豫、空白与未命名的感受。本栏目试图为这些暧昧与不确定保留一处位置,不要求理解,也不强求共鸣。词语被放在这里,不是为了被立刻读懂,而是为了在未来的某一刻,被重新遇见。
这些「一言」并非在书写完成的瞬间就算成立,而是要在读者各自流动的时间里,慢慢沉淀、逐渐成形。也许此刻它们尚无明确的意义,但在若干年后,在另一座城市、另一段季节中,某个不经意的瞬间,它们会忽然触动心底。那时,词语才真正拥有了故事。怀着这样的信念,我们这个小栏目,今天也为你静静敞开。
これは「今週の一言」と呼ばれる、言葉のシリーズである。何かを説明するためでも、正解へ導くためでもない。ただ、言葉がまだ意味になる前の、その淡い影に触れるために置かれている。夕暮れのバーで、理由もなく注文してしまった一杯のように、これらの言葉は生活に必要ではない。けれど、必要ではなかったはずのものほど、ある瞬間、胸の深いところに残り続ける。
「过期香蕉」「河边的咖啡」「不知晴空」。どれも少し傷があり、行き場を失い、時間から取り残されたような言葉だ。だが、それらは決して古びてはいない。むしろ、名前を与えられなかった感情や、途中で置き去りにした季節を、静かに呼び戻す力を持っている。言えなかった一言、選ばなかった道、終わらせ方を知らなかった関係――そうしたものが、言葉の奥で息をひそめている。
人は成長するにつれて、言葉を道具として使うことに慣れていく。速さや明瞭さが求められ、迷いは削ぎ落とされていく。けれど青春とは、本来、曖昧で、未整理で、答えのない時間だったはずだ。このシリーズは、その曖昧さをそのまま置いておくための試みである。理解されなくてもよく、共有されなくてもいい。ただ、ふとした瞬間に思い出されることを、言葉自身が待っている。
これらの「一言」は、読む人の時間の中で完成する。今は意味を持たなくても、数年後、別の街や別の季節で、突然胸に触れるかもしれない。そのとき、言葉はようやく物語になる。そう信じて、このシリーズは、今日もあなたのために静かに開かれる。
中国語教室「ニイハオチャイナ神戸」小呂

