【成语小故事】邯郸学步
2025.02.03
相传在两千年前,燕国某地有一位少年,不愁吃不愁穿,论长相也算得上中等人材,可他就是缺乏自信心,经常无缘无故地感到事事不如人,低人一等——衣服是人家的好,饭菜是人家的香,站相坐相也是人家高雅。他见什么学什么,学一样丢一样,虽然花样翻新,却始终不能做好一件事,不知道自己该是什么模样。
家里的人劝他改一改这个毛病,他认为是家里人管得太多。亲戚、邻居们说他是狗熊掰棒子,他也根本听不进去。日久天长,他竟怀疑自己该不该这样走路,越看越觉得自己走路的姿势太笨、太丑了。
有一天,他在路上碰到几个人说说笑笑,只听得有人说邯郸人走路姿势很美。他一听,急忙走上前去,想打听个明白。不料想,那几个人看见他,一阵大笑之后扬长而去。
邯郸人走路的姿势究竟怎样美呢?他怎么也想象不出来,这成了他的心病。终于有一天,他瞒着家人,跑到遥远的邯郸学走路去了。
一到邯郸,他感到处处新鲜,简直令人眼花缭乱。看到小孩走路,他觉得活泼、美,学;看见老人走路,他觉得稳重,学;看到妇女走路,摇摆多姿,学。就这样,不过半月光景,他连走路也不会了,路费也花光了,只好爬着回去了。
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故事出自《庄子·秋水》。成语“邯郸学步”,比喻生搬硬套,机械地模仿别人,不但学不到别人的长处,反而会把自己的优点和本领也丢掉。
邯郸学步
昔、燕国に一人の若者がいた。彼は食べる物にも着る物にも不自由せず、容姿も中程度であったが、自信がなく、何かにつけて他人より劣っていると感じていた。彼にとっては、他人の服が良く見え、他人の食事が美味しく見え、他人の立ち居振る舞いが優雅に見えた。何を見ても真似しようとするが、一つのことを学べば、別のことを忘れてしまい、どれも身につけることができなかった。
家族が彼にその癖を改めるように諭しても、彼は家族が干渉しすぎると反発した。親戚や近所の人々も「木を抱えて猿が逃げるようだ」と批判したが、彼は聞く耳を持たなかった。彼はついには自分の歩き方にまで自信を失い、自分の歩き方が醜くて見苦しいと思うようになった。
ある日、彼は道端で数人が話しているのを耳にした。彼らは「邯郸の人の歩き方は美しい」と言っていた。それを聞いた彼は興味を持ち、その美しい歩き方を学ぼうと邯郸へ向かった。
邯郸に着くと、彼は街の新鮮さに目を奪われた。子供の歩き方を見ては「活発で美しい」と思い、学ぼうとし、老人の歩き方を見ては「安定感がある」と学び、女性の歩き方を見ては「優雅だ」と学ぼうとした。こうして何でもかんでも真似しようとするうちに、彼はとうとう自分の歩き方すら忘れてしまい、路銀も尽き、家へ這って帰る羽目になった。
この故事は『荘子・秋水』に由来する。「邯郸学步」という成語は、他人を無理に模倣して自分の長所や技能を失ってしまうことを比喩している。
中国語教室「ニイハオチャイナ神戸」小呂